太極拳クラブ yun xiao|体操、武術太極拳、ヨガスクールを通じて岡山、倉敷、兵庫を中心にみなさまの健康を願い活動しています

日本カンフー武術協会

太極拳クラブ 雲霄

What`s club yun xiao
太極拳くらぶ雲霄とは?

入門クラス
まずはじめに初級太極拳で、太極拳の動きに、慣れていただき、太極拳の心地よさを味わっていただきます。

初級クラス
解剖学的に足や骨盤の歪みを整えていきながら、歩型を習得していきます。間違った骨組みで
トレーニングしていくと、体を壊してしまうので、この段階が非常に大切になります。呼吸は止めないように自然呼吸で行う。

中級クラス
正しく立てるようになったら、「放鬆功(リラクゼーション)」をマスターしていきます。
この段階に入ると、太極拳の効能が高まるようになります。呼吸は徐々に腹式呼吸で行えるようにトレーニングを進めます。

上級クラス
逆腹式呼吸、、小周天、大周天(気のコントロール)を段階的に習得していきます。
また解剖に基づき、上半身の筋肉のコントーロールを身につけて行きます。
推手なども含む総合的なトレーニングで演武、内功、武術性を高めていきます。

What’s club yun xiao 太極拳クラブ雲霄とは?

ゆっくりとした動きですが、その運動効果は上記の通り多岐にわたり、年代性別にかかわらず、自分の体力に合ったものからスタートし、長く続けられています。

指導内容

入門・初級クラス
初級太極拳、24式太極拳

中級クラス
48式太極拳、36式太極扇、32式太極剣、

上級クラス
呉式太極拳、孫式太極拳、陳式太極拳、42式太極剣

指導内容

指導内容

質問
太極拳とは
質問
太極拳の起源前篇:張三豊道士とは?
質問
太極拳の起源後篇:陳王廷とは?
質問
太極拳が影響を受けたものはありますか?
質問
太極拳の初期の頃と現代のものとで違いがありますか?
質問
伝統太極拳ってなんですか?
質問
制定太極拳ってなんですか?

太極拳理論

太極拳の練習形態

大きく分けて功法 套路 推手の三つに分けることができます。

功法:甩手、基本功、単品練習、 站椿功
内功(放鬆功、瞑想、呼吸法、丹田意守法、貫気法、小周天、大周天)身体(フィジカル)から心(メンタル)の調整まで行う。

套路:各種太極拳の套路(型)はたいへん多く体を大きく使う大架式、小さくまとまりのある小架式(新架式)螺旋形を描き剛柔相済、快慢交互の陳式、弧形運動、柔和でむらのない楊式、呉式、武式、孫式太極拳、それらをミックスした総合太極拳、様々な器械(武器)をつかう。太極剣、太極扇などがある。

推手:二人が組んで行う。柔道の乱取り、空手の組手のようなものである。打撃の練習は行わないので、安全に怪我をせずに行うことができる。もちろん試合は荒々しく相撲や柔道のようである。練習で行う推手は四つの段階が要求される。@聴(感覚判断能力)A化(曲線を用いて相手の攻撃を受け流す)B拿(相手が動かされるように仕向け制御する)C発(相手の弱点を巧みに攻撃する)定歩推手(足を固定して行う)、活歩推手(動きながら行う)、散手(自由)等がある。

太極拳の運動特徴

心静意導 呼吸自然 それぞれの太極拳が、一様に求めていることは、心の安定ということであり意識によって動作を導くということなのである。意識で形式を導くこと形意合一が求められることになる。呼吸は自然平穏で動作と乖離することなく、気を養い息を整える。(養気調息)
中正安舒 松柔連貫 太極拳では、体をまっすぐにして(立身中正)インナーユニットを覚醒させる。動作はのびやかで、ゆったりしていることが要求される。アウターマッスルをリセットさせリラックス、インナーとアウターマッスルの効率をあげることを重視している。
円滑協調 周身完整 太極拳は、すべての関節をゆるめるため、丸みを帯びた形になる。基本的に人間の関節は回転や回旋運動なので、道理にかなっているともいえよう。
その動きは、軽妙でしなやか、鶴がはばたくようである。
全身の動きも調和がとれ、動きが優美である。
軽霊沈着 剛住柔住相済 太極拳の古典的な拳譜に「外面は穏やかで内面は精神的に集中が保たれている」と述べられているそうです。静かなること林のごとし、動かざること山のごとしという感じでしょうか。力は柔らかくても軟弱であってはならないし、剛くても、硬くなってはならない。
                               参考著書 李天驥 「太極拳の神髄」 

太極拳の効能

脳、神経系のバランス調整.1
太極拳は動く瞑想ともいわれます。(動禅)

脳は、全体のエネルギー代謝の20%ほどを消費しています。ストレスの高い現代社会において、瞑想を行うことにより、セロトニンという神経伝達物質の働きを高め、さまざまな健康効果が期待できます。

@自律神経は、就寝中に副交感神経、活動中は交感神経が優位になります。この2つのバランスを整えてくれます。

Aセロトニン神経は痛みを伝える神経を調節、痛みを和らげてくれます。逆にセロトニンがうまく分泌されていないと痛みに過敏になります。
脳、神経系のバランス調整.2
B抗重力筋に働きかけ、姿勢を正してくれます。
これにより、五臓六腑内蔵の働きも整います。
C朝の目覚めがすっきりとし、脳(大脳皮質)の活動が活性します。

D感情をつかさどる大脳辺縁系の働きも整え
集中力を高め、不安、イライラを解消してくれます。

また、セロトニンは有酸素運動や一定のリズムで運動することで分泌されやすくなりますので、ムラのない太極拳動作は最適と言えるでしょう。


循環器の調整
心疾患の方や、高血圧の方にお勧め
緊張せず、心も体もリラックスした状態で動くので、血圧の上昇を抑制し血管を柔らかく保つことができる。太極拳を長く愛好している方は、血圧が安定しているという報告もある。


呼吸器の調整
太極拳では段階に応じて、自然呼吸、複式呼吸、逆腹式呼吸などを用いる。腹式呼吸は横隔膜の働きを改善してくれます。
横隔膜の運動が下に1センチ下がるごとに通気量を300ミリ増やすことができるそうです。またそれは、内臓の蠕動作用を促し、血液循環、胃腸の消化力をUPさせてくれます。
ロコモティブシンドロームの予防
ロコモティブシンドローム(運動器症候群)は、立つ、歩くなどの歩行器の機能が低下している状態のことを言います。太極拳は、歩くだけでは回復しにくい下肢の筋群をバランスよく刺激しながら、神経系のトレーニングを同時に行うことができる実践的なエクササイズです。
転倒による死亡者数は交通事故による死亡者数の2倍ともいわれています。

太極拳演武


1997年に制定された「八式太極拳」は、楊式太極拳の動作で構成されており、中国武術段位制度一段の審査内容を盛り込み、「一段位太極拳」とも呼ばれています。
初心者が始めて学ぶのに適しているため、当会でも最初の教材として使用してます。

画像近日中に公開予定







十六式太極拳は、中国武術段位制の二段にあたる太極拳技術試験の規定教材です。

16の楊式太極拳基本動作で構成されており
八式太極拳を学習した後に、さらに8動作学び
段階的に学習できるように構成されている。
太極拳の基礎動作を学ぶのにとても優れた套路といえます。

太極拳論

太極者、無極而生、陰陽之母也
太極拳は無極より生じ、陰陽の母なり

道教の「万物は有より生じ、有は無より生ず」をよく表している。「老子」の「無極より旧に復する」より出た言葉で無形無象をあらわす。宗の学者周敦頤の「太極拳図説」にも、「無極にして太極なり」とあり、また「太極は動にして陽を生じ、動極まって静となる。静にして陰を生じ、静極まって復(ま)た動く。一動一静、互いにその根となり、陰に分かれ、陽に分かれ、両儀立つ。」「五行は陰陽なり、陰陽は一太極なり。」
動之則分、静之則合
 動ずればすなわち分かれ、静すればすなわち合す。過ぎること及ばざることなく、曲(収縮)に随い伸(伸展)に就く

運動するときは陰と陽に分かれ、静止するときは陰と陽が合い一体となる。 その動きは行き過ぎず、不足なく。変化に従いのびやかに展開する。




人剛我柔謂之「走」、我順人背謂之「黏」

人、剛にして、我、柔なる、これを走といい。 我、順にして、人、背なる、これを粘という。

相手が剛にして猛烈に打ってくれば、我は柔らかく捌くことをもって応じるがこれを「走」という。「走」により優位な体勢に変化し、相手を受動的な状態に陥れるが、この転換を「粘」という。

「順」は順調の意味で主動的状態(相手を自然に制する自由自在の境地)「背」は受動の意味で不利な状態を示す。


動急則急應、動緩則緩隨動緩則緩隨。雖變化萬端、而理唯一貫。由着熟而漸悟懂勁、由懂勁而階及神明
相手が速く動けば、自分も速く動き、人がゆっくり動けば、こちらもそれに従う。 その動きは千変万化、ただ一つの道理を以って終始行われる。 技術が熟すまで練って、勁力と変化の規則が明らかとなり、さらに一層の精進を重ねて、はじめて思いのままに運用できるのである。

「着熟す」技法の熟練を意味する「着」は攻防方法を指し示し、招法ともいわれる。「勁」を懂る(懂勁)武術用語の一つ、力の流れを読み取ること。「階は神明におよぶ」技術が最高のレベルに達すれば、仙人の様に思うがまま動けることを指し示す。
然非用力之久、不能豁然貫通焉

然るに力を用いらざること久しからざれば、豁然(かつぜん)として貫通する能わず。

技が熟すまで練って、勁力と変化の道理を明らかにすることができ。さらに一層の精進を重ねて、はじめて思いのままに運用できるのである。しかしこの領域に至るまでは、実に長期にわたり鍛錬が必要であり、決して一朝一夕にできるものではない

豁然:晋の学者陶潜の「桃花源記」の中にある「心がぱっと開ける」より出た言葉である。偏狭、奥深き所より明るく開けている所に変わることを指す。
虚領頂勁、氣沉丹田、不偏不倚、怱隱怱現
頂の勁、虚領にして、気を丹田に沈めよ。 偏らず倚(よ)らざれば、忽(たちま)ち隠れ忽ち現る。

背骨を自然にまっすぐに立て、気を静め下腹部に沈める。身体は俯いたり、仰いだり、歪むことがなければ、動いてたちまち隠れ(身を躱す)、たちまち現れ(攻撃する)計り知れない変化を生じる。





左重則左虚、右重則右杳。仰之則彌高、俯之則彌深。進之則愈長、退之則愈促。一羽不能加、蠅蟲不能落
左重ければ則ち左は虚なり、右重ければ則ち右は杳(くら)し。 仰いでいよいよ高く、俯していよいよ深し。 進みていよいよ長く、退きていよいよ促す。 一羽も加わる能わず、蠅蟲も落つるに能わず。

相手が左を攻めれば、我は左を空にする。また、我の右を攻めれば、右を隠す。相手が上に向かって仰いで攻めれば、我はさらに高く昇り、ついに触れることはできない。相手が下に向かって攻めれば、我はさらに低く変じて、相手は我の低さを測る事はできない。相手が進んでくれば、我は退き、ついに長き(伸びるような攻撃)は我が身に及ぶことはできない。相手が退けば我は勢いに乗じ進攻し相手を圧して迫ることを促す。
一枚の羽毛の重みを区別できるだけの正確な判断をせよ。そして降りてきた蠅に皮膚が反応するように敏感にせよ。
人不知我、我獨知人。英雄所向無敵、蓋皆由此而及也

人、我を知らず、我独り、人を知る。 英雄、向かうところ敵無しとは、ひとしく皆これによりて及ぶところなり。

やがて人は我を知ることができず、我一人が我を知り英雄の向かうところ天下に敵なしとは、すべてみなこの道理をえているのである。

蓋:推量すること










斯技旁門甚多、雖勢有區別、概不外壯欺弱、慢譲快耳!有力打無力、手慢譲手快、是皆先天自然之能、非關學力而有為也!察「四兩撥千斤」之句、顯非力勝、觀耄耋能禦衆之形、快何能為?



この技、旁門(ながれ)は甚だ多し。 勢(わざ)に区別ありといえども、おおむね壮は弱を欺き、慢は快に譲るに他あらず。 力有る者が力無き者打つ、手の慢き者が手の快き者に譲る。これ皆、先天自然の能なり。 力は学び為すものに非ず。察せよ、四両も千斤を撥(はじ)くの句を。非力にして勝つこと顕(あき)らかなり。 観よ、耄耋(ろうじん)がよく衆(人々)を御するの形を。 快きもの何すれぞ能く為すところあらんや。

拳法の流派は非常に多く、その技はそれぞれ異なる。しかしおよそ強いものが弱いものを打ち、速いものが遅いものを制することに外ならない。力ある者が力ない者を打ち負かし、手の遅いものが、手の速いものに、敗けるのは、先天的に備わった自然の能力によるものであり、決して練功によって得られた実力ではない。太極拳の歌穴の中にある「四両(わずかな力)で千斤(非常な重さ)を撥く」の一句をよくよく考えてみることである。非力で強く見えない七、八十の老人が集団に抗する光景を見るが単純に速さと力に頼ってできることではないことがわかる。












立如平準、活似車輪。偏沉則隨、雙重則滯
立てば平準(へいじゅん:はかり)の如く、活(い)けば車輪に似たり。沈(深み)に偏れば則ち随い、双重なれば則ち滞る。

身型(フォーム)と身法(身のこなし)ははかりの様に中正を保ち,動に転じては車輪の様に円滑でなくてはならない。相手の力を用いて進攻すれば、我は全身の力を緩め、その力を左右どちらかに流せば、相手の勢いを逆手に取り変化することができる。相反して我も力を用いて互いに抗すれば、すなわち双重に陥る。双方が牛の様に押し合うような局面にあれば、動きは必然と滞るのである。
毎見數年純功、不能運化者、率皆自為人制、雙重之病未悟耳
毎(つね)に見る、数年純に功(まな)ぶも運化を能わざる者が、 率(ひと)しく皆自ら人に制せらるを。 双重(そうちょう)の病、いまだ悟らざるによる。

往々にして長年修行を積みながら、依然と柔らかく捌いて運用に転じることができず、人に制される者を見るが、これすなわち未だ「双重」の病による危機を悟れないことに原因がある。




欲避此病、須知陰陽、黏即是走、走即是黏、陰不離陽、陽不離陰、陰陽相濟、方為懂勁。懂勁後愈練愈精、黙識揣摩、漸至從心所欲
この病ちを避けんと欲すれば、須(すべから)く陰と陽を知るべし。 粘はすなわち走、走はすなわち粘。 陰は陽を離れず、陽は陰を離れず、陰陽相済(そうさい)して方(まさ)に勁の懂(さと)りと為す。 勁を懂(さと)りて後(のち)は、いよいよ練ればいよいよ精(つまびら)かなり。 黙(もく)して識(し)り、瑞摩(ずいま:研究)すること漸(ようや)くにして心の欲するところに従うに至る。

この病を避けようとするならば、先ず陰陽の対立、そして統一の関係を必ず明らかにしなければならない。手動的立場に立つとは、必ず「走」をもって捌き、柔をもって剛に克つことであるが、これは「走」による捌きから転換する法を得なければ、相手を制御しながら受動から手動に転換することは困難である。「走」と「粘」はまさに陰は陽を離れず、陽は陰を離れず、陰と陽は互いに補い相成し、互いに寄り合うごとが如く密接な関係にあることを理解できない限り、拳法の法則は悟れない。この法則が明らかになれば、練るごとに技が巧みになり、また絶えず思考をめぐらして、練習を繰り返すならば、やがて徐々に心を得て手に応じ、まさに動きは心の欲するままにしたがう域に達することができるのである。
本是「捨己從人」、多誤「捨近求遠」。所謂「差之毫釐、謬之千里」、學者不可不詳辨焉!是為論

本はこれ己を捨て人に従うを、多くは近きを捨て遠きを求むと誤る。 いわゆる差は毫釐(わずか)に一里謬(あやま)りは千里なり。 学ぶ者、詳く辨(わきま)えざるをべからず。是(これ)を論と為す。

もともとこの戦術の原則は「己を捨てて人に随う」所であり、相手の動きにしたがって、臨機応変に変化することを意味しているが、しかしながら多くの人は「近くを捨てて遠くを求める」という意味にとらえ、つまりは相手を投げつけることであると誤って解釈している。およそ世間でいう「真理よりわずかに離れれば、ついに誤りは千里の遠きに及ぶ」ところである。拳を学ぶものは、よく辨(わきま)えることである。










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